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[卒論メモ14]反戦報道されたベトナム戦争④ [::卒論memo]

なぜ、好戦的な側面を持つ各メディアが、ベトナム戦争では反戦の論調に転じたのだろうか?今日、このベトナム戦争という出来事は、「ジャーナリズムが勝利した戦争」として語り継がれている。

だが、メディアもベトナムに軍事介入することを始めから非難していたわけではない。当初は、新聞の社説を中心に支持されていたものだった。それもテト攻勢以前のかなり長期に渡ってである。

まだケネディが政権の座にいたころ、軍事顧問団の派遣について何ら疑問を投げかけるメディアはなかった。「ドミノ理論」が背景にあったのか、インドシナの共産化を止めるためにも軍事介入は必要だと各紙戦争を支持する論調だった。
(※ただし、実際にソ連が考えるところ、ベトナムには中国が関与するものだと推察し、特に強い関心はなかったという)

前述で反戦報道に転じたクロンカイトも、もともとは政府のやり方を支持していた。米国が、他国の国家建設のため一助になるとの説明を受け、軍事力が限定的に利用されている現状に納得した。「共産主義勢力の拡大防止のために自国は関与せねばならない」と論じた。

メディア自身の関心の低さもあった。

戦争は順調で、当然のように正しい戦争であると認識され、メディアの問題意識は低かった。政府の派遣した軍事顧問団が2万3000人、サイゴンに派遣された記者20人程度という数がそれを物語っている。国際報道自体も関心の薄いものだった。1965年海兵隊がダナン上陸した時期に、ようやく派遣数が増え始め、テト攻勢1ヵ月前に200人を突破した格好だ。米国が介入する戦争は、すべて何となく「正しい」という意識が根底にあったと考えられる。

また、国民世論調査ではテト攻勢以前に疑問を呈する声があった。ギャラップ社の調査では、それが起こる4ヵ月前には「戦争は誤りである」という回答が46%に上り、「誤りでない」の44%を抜いている。以後、「誤り」だと考える回答は増え続け、69年10月に58%に達した。

ベトナム戦争の大義がいつまでたっても、わかりやすく明確化せず、国民の奥底には何か引っかかる感覚があった。そしてテト攻勢が起き、テレビ報道の衝撃的な映像によって、初めて国民の反戦意識が顕在化したのではないだろうか。

そんな国民感情とは裏腹に、メディアが反戦へと転じたのはテト攻勢以降である。国民世論の方がメディアより先行していたと考えることもできるのである。

たしかにテト攻勢をきっかけとして、各メディアはベトナム戦争の問題点を掘り下げ、それが米国民の感情に強い影響を与えた。ただ、それ以前には既に国民世論は変わりつつあった。その動向に配慮し、世論の後を追うように従ったと言える。

その証拠に、テト攻勢以前は、メディアの本国編集部と現地記者との間にしばしば大きな隔たりができたという。現地記者が、政権についていくら批判的なリポートをしようとも、編集部は聞き入れなかった。それは国内で「戦争は順調である」と設定された先入観を忠実に守ろうとしたためである。現地記者の意見はそれに合致していなかった。

ベトナム戦争は「ジャーナリズムが勝利した戦争」である。戦争からは副産物が生み出される。つまり、死を感じさせる「空気」や「におい」のような、その場にいないとわからない感覚である。それがテレビ映像によって、ようやく本土の国民の下にも届いた。フィルターでろ過されていない「生のストーリー」である。もはや国益の損得といった理屈を超越したものに国民は出会い、倫理観に火がついたのだった。

そのような概容がある一方で、テト攻勢の衝撃的な映像に出会う前にも、政府のやり方に疑問を呈する国民感情があった。それも忘れてはならない。

参考資料:
戦争とマスメディア―湾岸戦争における米ジャーナリズムの「敗北」をめぐって(石澤靖治著)
冷戦(Wikipedia)
ベトナム戦争(Wikipedia)


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