SSブログ

[卒論メモ13]反戦報道されたベトナム戦争③ [::卒論memo]

ベトナム戦争の戦局において1968年の「テト攻勢」が大きく作用したのは前述したとおりである。

他方、「ジャーナリズム」と「国民の支持」という点でもテト攻勢が大きな転換点になった。テト攻勢時、常駐していた報道記者は1000人いた。それまでが400人程度の数だったことから、テト攻勢時常駐記者がいかに多かったがわかる。そして、この出来事を転機として米マスメディアの報道は一斉に戦争非難へと傾いた。

このような報道が世論に影響し、やがては社会全体が戦争不支持へと加速するのである。

まず、テト攻勢の関心の高さを見てみたい。テト攻勢が起こった2月初旬、CBS『イブニングニュース』の視聴率は平均20.3%、NBC『ハントリー・ブランクリリポート』では1月末と合わせて平均18.8%だった。これらのニュース番組では最高水準の数字だったという。また、2月末から3月以降に視聴率が低下の一途をたどった点からも国民の関心が高かったことがわかる。

さらに注目すべきデータがある。

テト攻勢のあった1968年から73年までのニュース映像のうち、ベトナムの戦争シーンが報じられたのはわずか3%しかなかったという。そしてテト攻勢直後、戦闘、負傷者や死傷者などリアルな惨状を伝える映像は週3.9回も流されていたという。つまり、戦争シーンのほとんどがこのテト攻勢に関わるものだった。

中でも、南ベトナム警察庁長官が、逮捕された解放戦線の若者を射殺する映像がNBCによって放送された。銃声、頭から流れる大量の血、倒れる若者。まだ裁判すら受けていない容疑者が路上で撃たれる映像は世界中に衝撃を与え、世論に影響を与えることになる。写真記者エディ・アダムスはその場面を捉え、ピューリッツァー賞を受賞した。

また、当時のニュース放送は、ただ戦況のリポートを垂れ流しするだけでなく、社説的な要素が含まれていた。現地記者やアンカー(ニュースキャスター)が主観を交えて考えを述べるスタイルが導入される。CBSイブニングニュースのアンカー、ウォルター・クロンカイトは現地まで赴いた。そして、米軍の公式発表と戦場に大きなギャップを感じた。これまで、自分が聞いてニュースで報じてきたこととあまりに様子が違う現状を指摘し、ベトナム戦争に関与する国の姿勢をはっきりと否定したのだった。

コメントを述べたり、社説的な要素を含んだニュース番組は視聴率20%に上り、それ以外の時期を5.9%も上回った。テレビ報道は、戦争を批判的な方向へと世論を誘導した。

CBSのキャスター、モーリー・セーファーは当時の報道を振り返ってこう言う。

「戦争がどのように痛ましく苦しいものかということ、
(中略)
そして戦場における『死』とは心臓をきれいに撃ちぬかれるのではなく、体がぐちゃぐちゃになって分断されていくものだということを、カメラが詳細に伝えた」。

参考資料:
戦争とマスメディア―湾岸戦争における米ジャーナリズムの「敗北」をめぐって(石澤靖治著)
冷戦(Wikipedia)
ベトナム戦争(Wikipedia)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問・資格(旧テーマ)

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。