[卒論メモ15]反戦報道されたベトナム戦争⑤ [::卒論memo]
ここでもう一度「米西戦争」について振り返ってみたい。
戦争中、新聞各社は売上を伸ばすため、見目を引くセンセーショナルな記事を徹底的に載せる。当時、写真技術は無く、記事理解の助けはイラストに頼ったものだった。だからこそ、ニュースのねつ造も容易に行われた。新聞は次々にインパクトのあるニュースを世に送り出し、多く国民の興味を惹きつける。と同時に、それは読者の現実感を喚起させるものではなかった。
ニューヨークジャーナルのハーストが、挿絵画家に語ったとされる言葉「君は絵を作り上げればいい。私は戦争を作り上げる」というものが象徴的である。米西戦争は紙面上で一人歩きし、リアリティのないある種の「フィクション」に仕立て上げられてしまったのだ。
そして、時を経てメディアの技術は進化した。
大衆にテレビが普及し、遠く離れた出来事でも、茶の間にいながらにして認知できるようになった。そして『ベトナム戦争』が勃発する。初めて大衆に戦場のリアリティが伝わることになった。戦場では血が飛び交い、死体がそこら中に転がっている。ベトコンの若者が頭を銃で撃たれて殺される映像も国全土に流された。
こうした映像をきっかけに、国民は反戦に向けてアクションを起こす。メディアの好戦性に、残酷な「死」というイメージによって歯止めが掛けられたのである。どこか「死」というイメージが欠けていた米西戦争では考えられなかったことだろう。
国民世論が強く反戦に傾いていけば、メディア自身にも自制が生まれる。目の当たりにされた悲惨な死を前に、戦争を認めるメディアの需要はなくなってしまうのだ。
現在、アフガニスタンやイラクへと侵攻した米政府はそのような部分にとても気を遣っている。ミサイルの命中率を徹底的にアピールし、無駄な殺生をしていないことを印象づけるために必死である。戦争から「死」という概念を徹底的に隠し「滅菌された戦争」を演出している米国とはどのようなものなのだろうか。
最後に、現代の戦争に関して、政府とメディアの攻防についてまとめていきたい。
参考資料:
戦争とマスメディア―湾岸戦争における米ジャーナリズムの「敗北」をめぐって(石澤靖治著)
冷戦(Wikipedia)
ベトナム戦争(Wikipedia)
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