大衆のコンプレックス煽る「下流社会」 [::my jam can]
近頃、「下流社会」という言葉が世間を賑わせている。
きっかけはマーケティング・アナリスト三浦展氏が著わした同名の著書。「『いつかはクラウン』から『毎日100円ショップ』の時代へ」。「コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低い階層」のことを下流と定義している。
「負け犬の遠吠え」に続く“大衆のコンプレックス刺激ブック第2弾”といったところだろうか。同書は瞬く間にベストセラーになり、世間の注目を集めた。
下流人間が好むものとしてデータに上げられるのが、「小型ペットボトル飲料」、「ポテトチップス」、「フジテレビの番組」などと何とも根拠の怪しいものだらけである。一応この著書では、30代の団塊Jr世代を中心に二極化が進んでいるという位置づけであるが、そこから下の世代も同様に当てはまるものなのだろう。
このあたりの世代からなのだろうか。
勉強だけではない「自分らしい生き方」を重要視して教育がされるようになったのは。バブル崩壊以後、先行きの見えない時代となった。学校教育では、勉強に付随して、「自分らしさ」といった個性がこの頃から尊重され始めたのではないだろうか。
そうした教育が一部でミスリードされ、歪んだ認識を与えてしまったとしたらどうだろうか。今日「下流社会」のような言葉が現れる背景には、教育と社会的な構造のズレが起因していると考えられる。
社会構造的な問題は根が深い。改めて後日詳細を掘り下げたい。
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